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芥川賞『推し、燃ゆ』を読んだ感想…!

語彙力のないオタクを表現する語彙力が凄い、宇佐見りん先生…(拍手)

第164回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』!

昨日、近所の本屋さんで買ってきました。

思わずInstagramのストーリーに投稿( ・_・)ノ

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けっこう短いのと、中断したくないのとで、2~3時間で一気読みできました。

感想を書いていきたいと思います。

 

あらすじ

勉強もバイトも、普通のことが普通にできない。

そんな高校生のあかりにとって、「推しを推す」時間だけが生きがいだった。

ある日、「推し」がファンを殴ったとの報道が。

彼は急速に炎上してしまい…。

 

感想

女子校生らしく、ドルオタらしく、かつ美しい文体が魅力

小説に出てくる会話文って、

日常会話よりぎこちないのが普通かと思っていたのですが、

令和の芥川賞は、ネット用語も若者言葉も、まんまリアルで驚きました。

「えなになになに」

「待て待て待てついてけん」

 凄いね…、小説でこんな会話文読む日が来るとは。

 

それから、宇佐見りん先生の言葉選びが好きでした。

例えば、こちら。

 

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、

その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。

だけど、推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、(中略)

中心っていうか、背骨かな。

 

たかが「推し」、されど「推し」、の次元をもう超越していて…、

なんか、武士道みたいな域に達している…!

あかりにとって、「推し」を推す、とは、生きることや、命そのものなんですね。

この背骨という言葉が浮かんだ先生に脱帽ですよ。

 

 

筆者も立派なオタクなので、

えっ、なんでわたしのこと知ってるの?

って思うような場面がたくさんありましたよ。 

 

例えば、推しとの付き合い方はいろいろあるけれど、

あかりが「解釈する」ことを大切にしている点は、

自分を見ているようでした。

 

筆者は椎名林檎のオタクなので、彼女の楽曲はもちろん、

インタビュー動画や記事をあさり、

彼女の思想、哲学、行動の意図について、

とにかく解釈したいと思っているのです。

 

それから、イヤホンというのも重要なアイテムですね。

音楽をイヤホンで聴いているとき、

歌詞に合わせて口を動かしてしまう、

すると「推し」の声がまるで自分の口から出ているかのように錯覚できる、

って書いていて、わたしのことだと思いました。

 

椎名林檎のギブスを聴いて、

これはわたしの歌だと衝撃を受けたあの日から、

ずっとイヤホン×口パクで椎名林檎を疑似体験していました。

あの一体感たるや…!

 

 

朝井リョウさんが、帯の推薦文で

「未来の考古学者に見つけてほしい

時代を見事に活写した傑作」

 

とおっしゃっていました。本当にその通りだなあと。

 

最先端の日本人(主語が大きくてすみませんが)はこれだっ!

こんなにも繊細に描けるものなんだな~って感心しました。

 

誰にもわかってもらえない、そんな悲しみを、

芸能界で孤独に戦う「推し」の姿と重ね、

彼と“分かち合い”ながら、あかりは生きます。

 

自分で読みたい方は、ここまででストップされた方がよろしいかと…!

ではネタバレ有り感想いきますね。

 

あかりが抱える“病気”

 

あかりちゃんが何をやっても上手にできない、

それは主観的なことではなくて、病名が出ているのだといいます。

 

しかし、診断されたから楽になることは何もありませんでした。

むしろ、理解のない家族の態度に苦しむことになりました。

 

理解のない家族といいますが、それぞれにもいろんな事情がありました。

家族だからこそ、あかりには何らかの形で、

“成長”や”改善”を期待してしまいます。

 

わたしは自分が長女だからか、お姉ちゃんに感情移入することが多かったです。

一生懸命受験勉強をするお姉ちゃんから、

あかりに向けられたこのセリフは、

共感してしまっただけに、本当に辛かった…。

 

 

「あんた見てると馬鹿らしくなる。否定された気になる。あたしは、

寝る間も惜しんで勉強してる。

ママだって、眠れないのに、毎朝吐き気がする頭痛いって言いながら仕事行ってる。

それが推しばっかり追いかけてるのと、同じなの。

どうしてそんなんで頑張ってるとか言うの

 

やらなくていい、頑張らなくてもいいから、頑張ってるなんて言わないで。否定しないで」

 

お姉ちゃんは真面目で、自分の人生を大切にしています。

すごくわかります、迷いながらも、

「努力はきっと報われると信じて頑張る」人間です。

 

だから、自分のために努力できないあかりちゃんの気持ちが、

何もわからないんです。

苦手なバイトを一生懸命やっているあかりちゃんは、

「推し」のために動いているんだから、それは「頑張っていない」と思ってしまう。

 

まさに価値観=何を価値とするかが大きく違っていて、

それはお互いに変えようがないものなのに…。

 

 あかりちゃんの立場になってみると、

お姉ちゃんの言葉はきついですね(T_T)

 

だからこそ、推しへの「一方通行」な愛情が心地よかったのですね。

宇佐見りん先生はインタビュー記事でこんなことをおっしゃっていました。

 

 

あかりはいろんなことがうまくいきません。

そういう自分が誰かに丸ごと受け入れられることを、あかりは望みません。

自分を認めてほしい、見てほしいという思いすら起こらないほど、

自分で自分のことが許せないからです。

 

推しは自分を愛してくれる存在にはなり得ないですが、否定はされないんですよね。「あなたはダメだ」とは言ってこない。

 

その存在に勇気づけられるという意味で、愛情が返ってこない距離が救いになるんです。

 

 

book.asahi.com

 

 

歪でも歩き出す姿に涙

あかりは、高校を中退し、家族に半ば追い出された形で、一人暮らしを始めます。

「推し」は薬指に指輪を付けた記者会見を最後に、芸能界を引退します。

 

踏んだり蹴ったりのあかりちゃんは、

ラストシーンに、汚れきった部屋で、綿棒のケースを床に投げつけます。

 

あたしはあたしを壊そうと思った。

滅茶滅茶になってしまったと思いたくないから、

自分から滅茶滅茶にしてしまいたかった。

 

綿棒をひろった。膝をつき、頭を垂れて、お骨をひろうみたいに丁寧に、

自分が散らした綿棒をひろった。

 

悲しみの果てに命を絶とうとするような、

それくらいの切な気持ちなんだろうと思いました。

だけど結局は、

後始末もそれなりに簡単である、綿棒ケースを投げつけたあかりちゃん。

 

このどうしようもなさが、令和最先端だなと、ひりひりしました。

 

 

「推し」を失ったあかりが、自分の足で立つ物語…

たしかにそうなんだけど、

エンパワメントや、爽快感といった単語とはかけ離れていました。

もっと生々しく、悲しい、命の物語でした。

 

 

あかりが良いとか悪いとか、新しい生き方を認めようとか、

そんな話ではなくて、

ただただ、この悲しみを味わうっていう、

古典文学的な良さを感じましたよ。

 

  

お読みくださってありがとうございます!

ぜひ感想を話し合いたいです🌠

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ