へなちょこ英語

へなちょこ学習者のための英語資格勉強法

『人間失格 太宰治と三人の女達』を見た2年前の感想

2020年の2月に、1年間のドイツ留学を終えたわたしは、

フランクフルトから名古屋へのフライト中、蜷川実花監督の

人間失格 太宰治と三人の女達』を視聴していました。

その感想を書き殴ったGoogleドキュメントを見つけてしまい、

なんともいえない気持ちで読み返したんですが、思いの外おもしろかったので

ブログに投稿したいと思います。

では、お付き合いいただければ!

 

2年前に人間失格 太宰治と三人の女達』を見た感想

まず、絶賛傷心中だというのに、なぜこれを選んだのか。

三人の女達が登場するが、三者三様な恋の苦しみにいちいち入れ込んでは、

目に涙をためながら見た。

といっても、二階堂ふみ演じる富栄ちゃんの危なっかしさには思わず引いてしまった。

つくづく、将来の見えない相手に入れ込んではいけないなと思う。

 

太宰治と三人の女達」というダサい副題はどうしても気に入らなかったが、

視聴後はその必要性について妙に納得させられた。

蜷川実花がフェミニスティックな監督だからか、

三人の女達は、主人公である太宰と同等以上に、

感情や人生観を深掘りされていたように思う。

ただ彼に利用され、泣き寝入りをしたばかりではないのだと。

彼の死に際しては、静子(沢尻エリカ)や美知子(宮沢りえ)が、

そしてある意味では富栄までも、「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべ、

終幕したと見えた。

なんだか救われた気がする。

太宰治の原作そのものがおもしろいというのもあるが、

蜷川監督のフィルターを通すことで、

女性たちが、自分の体験に重ねて共感し、カタルシスを感じるには、

うってつけの映画になったなと思った。

 

脚本が批判を受けるとしたら、色恋沙汰にフォーカスしすぎている点だろうか。

とくに文学ファンからは、「太宰と三島の関係をもっと掘り下げるべき」、

「斜陽の解釈が甘い」などの批判の声が起きても、まあ仕方がない。

大河ドラマ的に捉えれば、太宰治の文学を世に送り出していたのは、

出版社や文壇であり、男性社会なのだから、

その情勢をダイジェスト的に描いてほしいといった期待も、あってしかるべきかもしれない。

ただ、蜷川実花監督の「太宰治本人の物語を作りたい」というのゴールのためには、

三人の女達にフォーカスした今作もひとつの答えであるはずだ。

だって、太宰いわく(正確には静子いわく)

「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」から。

 

ところで、この名言について。

「人間は恋と革命のために生まれてきた」なんて、情熱的すぎる。

実際のところ、恋も革命も、独りよがりで盲目なものだ。

傍から見れば、あぁなんて不器用に生きているんだと、

同情はしても、巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。

もっと冷静に器用に、したたかに、依存先は複数つくっておかなければ、

現代は生き延びられない。

そのくせ、いざ恋に落ちたり、ちょっとした革命の当事者になったりした場合、

自分だけは、今回だけは、「特別」なのだと、夢中になってしまう。

愚かで美しい、人間が最も人間らしい瞬間なのではないだろうか

 

ちなみに、英語字幕とともに視聴したのだが、

人間失格」を” no longer human ”と訳していたのが、切ない響きで素敵だと思った。

もはや人間とはいえないと、自暴自棄になった彼を、モンスターとでも呼ぶべきだろうか。

結局のところ、自らに「人間失格」の判定を下したところで、

太宰治はどこまでも人間だ。

こうして現代でも、作品のみならず、人間的魅力によって、

多くの人々を惹きつけていることを思えば。

死をもってしても、太宰治は人間であることから逃れられていない。

それって「なんか可哀想」と、ほくそ笑んでしまう私も、

太宰治へ歪んだ愛情を抱いているのかもしれない。

 

まとめ

お読みいただきありがとうございました。

大変、お恥ずかしい文章でしたね。(当時21歳)

ただ、社会人となった今よりも、学生の頃の方が純粋に作品に没頭していたなと思いました。

視聴したあとは、何時間も余韻に浸り、こんな恥ずかしい感想を、

痛々しい文体で堂々と書き切ってしまうあたり、若いってすばらしい!

機内の小さなモニターで視聴していたので、せっかくの蜷川実花監督作品なんですが、

映像美は楽しめていません。

最近プロジェクタを購入したので、大画面で見直したいな~と思っております。

Amazon Prime にもきていましたので、この夏ぜひご視聴ください!