わたしの文章の書き方の話
文章、上手でしょ。とか言いたいわけじゃありません…。
人前でプレゼンするより、一人でキーボード打つ方が多分向いているなという話です。
わたしは小学校のときから、けっこう作文が得意な子でした。
いろんな本を読みまくっていたので、いろんな文体があることがわかっていて、
授業の作文とか、読書感想文のパターンもなんとなく掴んでいて、
先生や親が言って欲しい、優等生的な内容も、よく承知していたと思います☻
空想好きだったので、作家になったらと言われることもありました。
自分の本が本屋さんに並んだら、嬉しいだろうなあ…(ほわ~ん)と夢見ることもありました。
でも、中学生のときに出会った、とある因縁の友達が、なんだかロマンティックな文章を書く子でした。
わたしは何かと文章を書く度に、彼女と比べては、負けてるな…とプチ挫折を繰り返し、その夢も、誰にも言わないまま、あえなくしぼんでいったものです。
ロマンティックな文章が書けないので、実用性のある方向に進んでみようかなと考えていました。
ですが、大学で論文が上手な人にたくさん出会いましたし、教授の本を読んだときは、”やっぱプロってちげ~わ”って感じで、山が果てしなく険しいものだと思い知りました。
あとは、英語の資格試験でのライティングにめちゃくちゃ苦労しました。
いわゆるPREP法といって、結論・理由・具体例・結論の「型」に綺麗にはめることで、
ライティングの点数が上がります。
PREP法は、文句なしでめちゃくちゃ分かりやすいですよね。
あと、こういう思考ができたら、すごく論理的で、みんなに「頭良い~~」と思われるのかもしれません。
わたしの思考は、非論理的です。あらゆる診断を受けたときに、直感力があるとか、感情的とか感性が豊かとか書かれるタイプです。
なので、人と会話するときに、筋道立てて説得するのは向いていなくて、
文章にすると、冷静になれます。
これまで重大な決断をするときは、全部紙に書き出して、何らかの文章にしてきました。
自分が言葉を声に出すと、思ってもない酷いことを言ったり、泣き出したり、コントロール不能に陥ることがままあるので、黙って紙に書いている方が、本当に大切な部分に集中できると思っているからです。
自分の思考って、「組み立て」とかがないんだなと感じます。
思いつくまま、さら~っと話をするタイプです。
ひとつの話題に触発されて、関連する話題を思い出して、「そういえば、これも。」と言って話し出すので、昔からすごく長電話だし、オールナイトお泊まり会をやっちまいます。
言いたいことがあって、どうしたら上手く伝わるかな、と組み立てながら、話が出来る人はすごいです。
わたしは、そういうのを文章でなら、綺麗に構築できると思うのですが、
話しながらオンタイムで行うのは難しいと感じます。
テレビやYouTubeで、情報発信される方は、話の組み立てが得意ですよね。
中田あっちゃんのYouTube大学は、すごいな~と思います。
わたしがああいう発信の形をする場合、ものすごく事前準備が必要なので、疲れちゃって、やりたくなくなると思います。
営業職の方も、素晴らしいテクニックですよね。自分の会社で営業部の研修を受けたとき、なんと魅力的に聞こえる説明をなさるのか!と感心しまくりました。
わたしはブログで愛を語れるけども、面と向かってPRしろと言われたら、全然いいところが伝わらない気がします。
営業職の採用はことごとくダメだったので、よく分かってらっしゃると思います。
というわけで、英語学習についても、YouTubeとかTikTokとかでやったら、
もっとたくさんの人が見てくれるんだろうと思いつつ、自分のフィールドじゃねえなあという思いがとっても強いです。
大事なことは文章にした方が、自分にとっても、相手にとっても、わかりやすいなと
常々考えています。
会話では、非論理的なわたしが、文章ではちょっと論理的になれているはずです…。
おそらく、「組み立て」が、目で見てわかるからでしょう。
例えば、他人様のサイトに納品させていただくような記事を何本か書いていますが、
まず目次を考えます。
大見出しを作って、小見出しを作って、それぞれがおおよそ何文字なのかも、決めてしまいます。
「何文字で、こんな内容を説明する」というのがパッと見でわかる状態で、
書き始めると、普段の思考の癖(ひとつの話題に触発されて、すぐ違うことを思いつくやつ)はあまり出てきません。
おかげで、稚拙ながらも筋だけは通った記事ができあがります。
すると、良い副作用として、自分の考えもスッキリ、PREP法で述べられるくらいには、かたまります。
というわけで、対面勝負の仕事よりも、まずは一人でキーボード打つ仕事ができて嬉しいなと思っています。
わざわざブログを書いているくらいには、文章が好きなんだと思うので、
いつかは本屋さんに並ぶ何かが書けたらいいなって、淡い思いを抱きながら生きています。